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【アラベスク】  第11章 彼岸の空



第3節 湖面の細波 [9]




 原因は何だ?
 好奇心旺盛な生徒の間で、情報が交換され始めた。それによると、織笠鈴は前日、同じクラスの女子生徒と口論になっていたようだった。
「織笠先輩はおとなしい生徒だと思われていたから、この噂にはみんなビックリしたわ。同じ二年生でも織笠先輩が声を荒げる姿なんて一度も見たことが無いという人がほとんどだったから、この情報が本当かどうか、ずいぶんと疑われたみたいね」
「で、本当に口論はあったんですか」
「あったみたいよ」
 ツバサの質問にも、智論は視線を窓の外へ向けたまま。まるで、心は当時の時間へと舞い戻ってしまっているかのようだ。
「聞いた話だけど、あったのは間違いないわ」
「原因は何なんですか?」
 そこで智論は視線を落とした。ポツリと呟く。
「犬よ」





「こう言っては何ですけれど」
 ポニーテールの女子生徒は声を潜め、だが聞こえても構わないと言った様子で肩を竦める。
「正直、厄介払いはできたってカンジかしら」
「まぁ仕方ないですわよね」
 向かい合う女子生徒の言葉に、ポニーテールがブンと揺れる。
「そう思う? 思いますでしょ? だって毎日ですのよ。毎日隙あらば噛み付いてくるのですからね」
 言いながら左手で右手の甲を大袈裟に摩る。
「檻を作って閉じ込めても、ワンワンギャーギャーうるさいし、叱れば檻を壊す勢いで飛び掛ってくるんですから、たまりませんわ」
「えー、飼ってるのに檻に閉じ込めちゃうの? それじゃあ遊べないじゃん。つまんなぁい」
 髪の毛をクルクルと指で弄ぶ別の女子生徒へ向かって、ポニーテールは腰に手を当てる。
「だからぁ、だから保健所に連れていったのですわ」
 まるで当たり前だと言うような態度。
「だいたい、飼ってもらってるのに飼い主に従わない犬なんて、そもそも飼う意味がありませんもの」
「言えてる」
 同級生が同意する。
「でもさ、ちゃんと保健所に連れて行くなんてすごいよね。私なんて、前の犬は河原に捨ててきてもらったわ」
「えぇ、わざわざ河原まで持って行ったの? そっちの方が面倒じゃない?」
「バカね。使用人が捨てたに決まってるじゃない。価値のない犬のために誰がわざわざ」
「そうよね。まぁ、遊べない犬なんて捨てるかどうにかして処理しないと。お金かけて飼う価値ないもんね」
「そうでしょ? 大型犬は抱きしめ甲斐があって頼もしそうだなって思ったのですけれど、あれはハズレでしたわね。今度はもっと小型の犬にしようと思ってパパに頼んでいますのよ」
「あら、じゃあ、私のパパにも頼んであげましょうか? 知り合いにブリーダーがいるのよ」
「ホントッ」
 ポニーテールが嬉しそうに両手をパチンと叩いた時だった。
「やめなさいよ」
 怒鳴り声と言えるほど大声でもなかった。だが、教室中の空気を切り裂くかのような厳しい声音。少女たちどころか教室中の生徒が閉口する。そして一斉に視線を向けた先で、織笠鈴が三人の少女を睨み付けていた。
 眉の上で綺麗に切り揃えられた前髪が揺れた。色白で痩せてはいたが、貧弱ではない。
 座っていた椅子は立ち上がった拍子に飛ばされたのだろう。足を横に向けた無様な姿で転がっている。机に乗せた両手は拳が握られ、微かに震えている。
 織笠鈴は相手を睨みつけたまま繰り返した。
「やめなさい」
「な、なによ」
 その勢いに気後れしながら、だが相手が織笠鈴だとわかると、鼻を鳴らして胸を張った。
「何よあなた、誰に向かってそのような眼つきをなさってるの?」
「そうよ、一般人風情が。失礼な」
「何か文句でもおあり?」
 高飛車に見下してくる相手へ向かって、鈴は臆する事なくピシャリと言う。
「あるわ」
 言って、背筋をピンッと伸ばした。丁寧に切り揃えられた艶やかな黒髪が、彼女の意志を表すかのように凛々しく揺れた。
「飼い犬をそのように言うのはやめなさい」
「はぁ?」
「犬を、まるで遊び道具か何かのように言うのはやめなさいよ。まして、自分の意志に従わないからって簡単に保健所へ連れて行くなんて。捨てるなんて―――」
「何よ、あなたには関係ないじゃない」
「そうよ。だいたい、言う事を聞かない犬なんて、家に置いておく義理もないわ」
「でも、一度飼うと決めた犬でしょ。最後まで責任を持つべきだわ」
「責任って何よ? 従わない犬をどうしろと?」
「従わなくても、それなりの躾をしてあげれば優しくて大人しい犬になるわ。自分で躾けてあげられないのであれば、躾教室へ通うとかプロのトレーナーに頼むという手だってある」
 だが、鈴の言葉にポニーテールは呆れたように両手を広げた。
「冗談じゃないわよ」
 不機嫌そうに相手を睨み返す。
「なんでそこまでやらなきゃならないワケ? たかが犬の為に。お金もかかるし。どうせお金を使うなら、新しい犬を買うのに使った方が有効的じゃなくって?」
「そうよ」
 もう一人が加勢する。
「躾のためにお金をかけるのなら、もっと利口で従順な犬を買う方に使うべきだわ」
 そうして、ニヤリと口元を吊り上げる。
「これだから一般人は嫌いよ。お金の使い方も知らないんだから」
「だから貧相な生活しかできないのよね。貧乏って、境遇だけじゃないと思うわ。お金の使い方が下手過ぎるのよ」
「お金だけがすべてじゃないわ」
 鈴は、三人相手でもまったく(ひる)む事なく言い返す。







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